能動的か受動的か

年末は実家に帰省していた。そのとき、子どもにタブレットなどを渡してYouTubeをどれくらいなら見せてもOKにするか、について奥さんと話した。 このときの話から、子どものどのような行為については推奨し、どのような行為については推奨しないかの線引きについて一つ判断基準を明確にした。 それは、能動的な行為であればOK、受動的な行為であればNGというものだ。

能動的行為と受動的行為を定義する

能動的な行為とは、自らの内発的なモチベーションのもと、"こうしたい"というような目的意識を持って行う行為だと考えた。

反対に受動的な行為は、意図・意思の欠如した行為のことを指す。

例えば、テレビやYouTubeを見るときには単に時間を過ごすためや、習慣的に視聴することが多い。 このような行為は、自動的だし、意識的な決定や選択をしているというよりも単純に退屈や暇つぶしを行っているだけになっている。

ただ、動画を見るという行為であっても、"これを調べたい"、"これどうなっているんだろう"というような内的な興味や好奇心から行うのであれば能動的な行為だと言える。

僕は子どもが没頭することは大事だと思っている。子どもが夢中になって取り組めることがあるなら支援したい。没頭できる環境を作ってあげたい。 では夢中ならなんでも良いのかというと、そうではない。その基準が能動的か受動的かということだ。受動的な行為に没頭することは推奨しない。

なぜ受動的行為を推奨しないのか

受動的行為の代表格は、例に上げたようにテレビやYouTubeを見ることだと思う。

僕の子どもはちょうど一歳を過ぎたくらいで、まだ動画を見たいと騒いだりはしない。 しかし、周りの子育て中の親が子どもにタブレットを渡して動画を見せているのを見たことはある。 子どもがずーーーっと動画を見る。動画が止まると泣き叫ぶ。動画が再生されると静かになる。これは中毒である。

こうした様子を見るとなんとも言えない気持ちになる。 大人の自分もダラダラとYouTubeを見たりすることに罪悪感を感じているからである。

自分が罪悪感を感じるような行為を推奨できるだろうか。いや、なんとか一緒になくしていきたいものである。

そんな理由で受動的な行為を推奨しないことにした。道連れみたいなものだ。

基準を決めたら楽になる

最近何事も基準を決めておけばその後判断が楽だなぁと思うことが多いので、これも一つの基準として決めてみた。 奥さんとも話し合って決めたので、今後の子育てでこの基準をベースに意思決定していくことになるだろう。 基準があると、判断の軸が明確になるので、判断が楽になる。

最後に、この軸自体は将来ずっと守り通すというものではないと考えている。今時点ではこう決めた、というだけである。 未来は変わるし、子どもも変わる。変わったときにまた考え直せば良い。